G先生の特別支援教室

ブログ初心者です。

#16 遊びに先生は必要

おはようございます。

特別支援教室教員Gです。

 

子ども同士の関係性について思ったことを

書きます。

高学年になるといつも"いじられる子"って

いますよね。

私がサブとして入っている六年生にもいます。

その子(Aくんとします)は多動性で、

注意されてばかりいるため自己肯定感も低く、

いつもおちゃらけてはいるけれど、

時折寂しそうな目をしています。

 

六年生のいる時間は子どもが4人で、

休み時間は4人でボールで遊んでいます。

やはりAくんはいじられキャラ

意図的に周りから鬼にさせられます。

はじめはニコニコしていたAくんも

だんだん悲しい目になっていきます。

 

以前あった事です。

私は遊びに一緒に入ることにしました。

 

子どもは変わりました。

「1人だけいじめるのはよくないよ。」

「みんなで仲良く遊びましょう。」

そんなこと一言も言っていません。

そんなこと学級の道徳で散々やってると

思います。

 

簡単です。

1人をいじるよりもみんなで仲良く遊んだ方が

楽しいということを示し続けたのです。

一方が不利になるような状況がないよう平等に

裁いていったのです。

もちろん先生は本気です。

本気でやって、本気で鬼になることも

あるので、こちらも素の感情がでます。

先生が本気で楽しんだら子どもも

楽しくなります。

そこに共感が生まれます。

非言語的コミュニケーションの一つですね。

 

先生がボールを使ってフェイントをかけるなのど、

子どもより少し上手なことをします。

それを子どもも真似ようとするんですよね。

ボディイメージの弱い子はふにゃふにゃな全然

違う動きなんですよね。

でも不思議なことにだんだん上手に

なってくるんですよね。

子どもの凄さはここにあります。

こういうところでボディイメージを養い、

非言語的コミュニケーションの参照能力を

高めているのです。

 

そんなことに夢中になってくると

Aくんをいじるのなんて

どうでもよくなってくるのです。

無視ではなく、ホントに"たまに"いじる

という感じになります。

Aくんもいじられるのが嫌いという

わけではないので、楽しそうな目を

しています。

 

はじめのうちは先生が常に楽しみ方を

示し続けていくのです。

子どもたちが、自分たちだけでも正しく

楽しめるようになったら子どもたちだけで

遊んでも仲良く遊べます。

 

 

たまたまこの間、ノロウイルスの関係で

(治ってはいましたが)一応活動には不参加で

事務仕事のみをおこなっていましたら、

またAくんへいきすぎたいじりをしている声が

聞こえてきました。

後で他の先生に聞くと

「あれはよくないね。」

「今度言おう。」

そんな話しをしていました。

なんかズレを感じました。

子どもと先生で一線をおかなければいけない時

はあります。

でも、もっと寄り添っていいんじゃないかな。

 

そんなことを思いながら、

それ以上にまだ"いじる"行為以上の楽しさを

伝え切れてなかったんだなぁと思うと悔しさ

もこみあげてきました。

 

私自身も精進します。

全ての子どものために…

 

それでは…

 

G